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かつて、月はただの衛星ではなかった。
それは太古の異星文明が創り出した、壮麗なる宇宙要塞。
その心臓部には、一人の巫女が眠らずにいた。
彼女の名は――アナ=リュミエール。
銀白の髪、深い琥珀の瞳。人の時を超えた異星の巫女。
月の地下にある神殿《セレナリウム》にて、ただ一人、幾千年の時を過ごしてきた。
その昔、彼女の種族《ルネラ》は、美しき惑星《ノヴァ・ルナ》の民だった。
だが、恒星の崩壊という終焉が訪れたとき、彼らは巨大な人工衛星「ルナ=アルク」を駆って脱出し、新天地――地球へと辿り着いた。
そして彼らの乗り物である月は、地球の守護者となった。
他のルネラたちは地上に降り、人間の姿を借りて静かに共存していった。
だが、アナだけは残った。
地球を守る盾となるため、月の巫女として。
地球に降り注ぐ無数の小惑星や彗星、宇宙線。
彼女は幾度も月の裏側に備えられた重粒子砲を駆使し、未然に災厄を防いできた。
人類がそれを知らぬ間に、幾度となく地球は滅亡の淵から救われていた。
だが、それはあまりに巨大だった。
人類の天文機関が「オメガ・ストーン」と呼んだ小惑星。
直径800km、黒鉛化チタンで覆われた異常な天体。
重力波探知によりその接近が判明したとき、地球全土に絶望が広がった。
どんなミサイルも届かず、誘導も干渉もできぬ、静かなる破滅の象徴。
アナは、モニターの前で静かに見つめていた。
数万年前、母星が崩壊していくさまを、幼き彼女はこうして見ていたのだ。
手は届かず、ただ涙するしかなかった過去。
今度こそ、護りたい。
アナは月の中枢に繋がる聖なる装置《ルナ・オルガノン》に意識を融合させた。
月はゆっくりと軌道をずらし、地球と隕石の間にその身を滑り込ませた。
防御砲はすべて解放、熱核ビーム、重力歪曲砲、ありとあらゆる攻撃で隕石を叩く。
だが、傷一つつかぬその異形の塊は、ついに月へと接触した。
――衝突。
地球の空が一瞬、光を失った。
月が震える。
装甲のチタン層が悲鳴のような音を立てて裂け、衝撃波が神殿の天井を震わせた。
巨大なエネルギーの波が月全体を駆け巡り、構造体が軋む。
その直後――セレナリウム中央の重力制御装置が限界を超えて爆発的な光を放ち、静かに停止した。
「……重力場、消失……」
アナの足元がふわりと浮かぶ。
機器のアラームが断末魔のように響き、重力のない空間へと神殿は変わった。
無重力の神殿。
聖柱の間を漂うのは、青く光る粒子――装置が崩壊する際に生じた微細なナノ光子。
まるで、蛍が星の間を舞うようだった。
だが――彼女の目はまだ、モニターの向こうを見ていた。
オメガ・ストーン。
月との衝突によって、その一部が崩壊し、表面の装甲が剥がれ、巨大なクレバスが生じていた。
内部のコアが露出し、重力異常が発生。軌道がわずかに、だが確実に逸れていく。
「……それで、いいの……」
その一撃で、地球への直撃コースは免れた。
オメガ・ストーンは、そのまま彷徨うように宇宙の彼方へ流れていった。
地球に降り注ぐはずだった終末は、ただの“記録”へと変わった。
だが、代償は大きかった。
月の自転機構が止まり、外殻のチタン合金層は真っ二つに裂けた。
その裂け目は、音もなく神殿を飲み込もうとしていた。
天井の裂け目から漏れた青白い光子が、ふわりとアナの身体を包んだ。
「…綺麗……」
それは、かつてノヴァ・ルナの夜空に舞っていた光。
無数の蛍が星々の歌に合わせて踊っていた、あの光景。
アナの意識が遠のいていく。
だが、その最後の瞬間、彼女は静かに微笑んでいた。
それは、地球を守る使命を果たした者の誇り。
そして、長い孤独の終わりに訪れた、永遠の安息。
――アナ=リュミエールは、光となって宇宙に溶けた。
そして地球では、彼女の犠牲を知らぬまま、人々が空を仰いでいた。
あの夜、月が半分だけ欠けていたことに、誰も違和感を抱かずに。
ただ一人、ある天文学者の少年がこう呟いた。
「……ありがとう、月の人。」
その声は、遥か宇宙の深淵へと、ゆっくりと消えていった。
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